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生きるのをがんばりたい

内視鏡検査を受けた

はじめに

ちょうど上京した頃から年に数回ほど、腹痛で救急車のお世話になっている。緊急搬送先での検査では異常が見つからず、痛みが落ち着くまで様子を見たのち家に帰されてきた。

人間の腹には様々な臓器が詰まっているため、今まで大丈夫だったから次も大丈夫とは限らない。この腹痛が致命的なのか否かの判断は素人には難しい。7119番に相談すると今すぐ救急車を呼べと言われるので、申し訳なく思いつつも毎回言われた通りにしていた。

緊急搬送先では概ね、すぐに対処が必要な病気かどうかの検査がされる。僕が理解している範囲だと、虫唾炎や急性膵炎などが疑われているようだった。幸いなことに重篤な病気が見つかったことはない。対応してくれた医師ら曰く、何らかの原因で腸の働きに異常があるのだろうとのことだった。それでも断定はできないので、後日病院で検査をするよう勧められていた。

ところで人間は愚かなので、痛みが引いてしまえば面倒な検査を積極的に受けることはない。ましてや腸の働きの異常が疑われる場合に行われる検査はいわゆる内視鏡検査である。とにかく苦痛だという噂しか聞かないのだから、尚更だった。

そんな愚かな人間を検査に向かわせるのは、もちろん痛みである。突然の吐き気と徐々に強くなる腹痛には、身に覚えがありすぎた。こんな時のために常備していた市販の抗コリン薬によって、この日は事なきを得た。

なんとか激痛を回避して事で気力が温存できたことで、ついに検査を受ける決心をした。

検査

最初に結果を言っておくと、炎症もポリープもがんも見つからなかった。検査自体も寝てる間に終わったので、痛かったのは鎮静剤の点滴の注射を刺す時だけだった。

検査を受ける決心をしてからもとにかく痛いのが嫌でインターネットでぐちぐちと騒いでいたところ、鎮静剤ありで検査を実施しているクリニックを探すといいですよ、と教えてもらった。探してみると「痛みの少ない内視鏡検査」を謳うクリニックはたくさん見つかった。良さげなところの予約をとり、診察をしてもらった。

医師に症状を話したところ、やはり内視鏡検査をして異常がないことを確認する必要があるとのことで、上部内視鏡検査(いわゆる胃カメラ)と下部内視鏡検査(いわゆる大腸カメラ)の予約をした。

数日前から食事を制限し、前日と当日朝に自宅で下剤を服用して検査に臨んだ。所要時間は上部内視鏡検査が10分程度、下部内視鏡検査が30分程度、とのことだった。検査の直前に鎮静剤が点滴で投与され、検査台に寝かされてすぐ意識がなくなったらしく、気づいたら検査が終わっていた。下部内視鏡検査の終わり頃にぼんやりと意識が戻り、「痛くないですか?」「婦人科の内診の方が痛いです……」といったやりとりをしたような気がする。婦人科の内診は本当に痛いです。

鎮静剤が抜けた後、その日のうちに医師から検査結果の説明を受けることができた。炎症や腫瘍はないが、胃にびらん(ポコってしたやつ)が見つかった。びらんは悪性のものではなさそうで、おそらく過敏性腸症候群だろう、と診断された。念の為びらんの生体検査が実施されて二週間ほど後に結果を聞きにいったところ、やはり問題はないとのことだった。

大きな病気が見つからず、過敏性腸症候群とはいえ慢性的な症状もないため、継続的な通院は発生しなかった。痛みは腸の痙攣によって引き起こされるとのことで、数回分の抗コリン薬を処方してもらった。痛くなり始めに服用するようにして、無くなったらまた貰いにいくことになった。

感想

結局、腹痛の発生自体をなくすことはできないらしい。ただ、今回の検査を決心したきっかけの腹痛も市販の抗コリン薬でかなり抑えられたので、処方された薬をうまく服用していけば救急車のお世話にならずに済むのではないかと思っている。

検査自体は噂より全然楽だった。なんなら鎮静剤の点滴の注射が一番怖かった。カメラを突っ込むのと並んで辛いと聞いていた下剤は、ポカリに塩を混ぜたみたいな味とレモンシロップに塩混ぜたみたいな味がした。味そのものより味の濃さと量が若干辛かったが、頑張れないほどではなかった。

おわりに

この記事を下書きに保存した2週間後にまた腹が痛くなりましたが、処方箋薬のおかげで事なきを得ました。良かったですね。

生活改善まとめ2021

はじめに

ADHD および ASD 由来の日常生活の難しさを改善するために今年やったことをまとめます。定型発達の幼稚園児レベルのことしか書きませんが、27歳会社員です。

今年やったことは以下の通りです:

  • ごみを散らかさない
  • 生活リズムを整える

同様のことでお悩みのみなさんの参考になれば幸いです。お悩みでないみなさんは、定型発達の幼稚園児レベルのことができずに精神科の診療を受けている人間がいることを覚えて帰ってください。

よろしくお願いします。

ごみを散らかさない

不衛生な話になりますが、僕はごみを捨てられません。今いる場所からごみ箱まで歩くことや分別の手間を嫌がるためです。机からごみ箱までの片道7歩を動けず、分別が必要なごみは床などに並べられています。

ごみを散らかさずに捨てるために、いくつかの取り組みをしました。

  • 家の中のよく居る場所にビニール袋の束を設置する
  • ラベルのないペットボトルを買う

分別や洗浄が必要なごみの問題は解決できていませんが、家で一番多い燃えるごみが散らからなくなりました。

ビニール袋の束を設置する

ごみ箱まで歩きたくないならごみ箱を増やせばいいので、ごみ箱を増やします。ただし袋だけを、ストックと一緒に設置することにしました。経験上、ごみ箱の袋を交換するのも新しい袋を取りに行くのも面倒になることが分かっているので。

ここで大事なことは、座って留まるような場所のすべてに袋の束を置くこと、手が届く場所に置くことです。僕の場合はこたつ(飯を食べてだらだらする場所)と机(ゲームと仕事をする場所)の座りながら手が届く場所に袋の束を設置しました。

この取り組みはかなり上手くいっており、ごみが発生したらすぐに袋に入れておけるようになりました。

袋は一杯になるまで置いておき、一杯になったら口を縛ってその辺に投げておきます。手が届く場所に置いてあると積み上げられてしまうので。できるだけ邪魔になるところに投げておき、立ち上がったついでに玄関まで運びます。外に出るついでにごみ捨て場まで運べば、ごみ捨てが完了します。おめでとうございます。

まとめると、以下のようにしています。

  • 家の中のよく居る場所にビニール袋の束を設置する
  • ごみが発生したら、ごみを袋に詰める
  • 袋が一杯になったら口を縛ってその辺(立ち上がった際に目に付く場所が望ましい)に投げておく
  • 立ち上がったついでに袋を玄関まで運ぶ
  • 出かけるついでに袋をごみ捨て場まで運ぶ

ラベルのないペットボトルを買う

ペットボトルには概ねラベルが付いていますが、通販ではラベルのないペットボトル飲料が販売されています。

LOHACO - ラベルレスの商品一覧|通販

試しに買ってみたところ、人間は工程が一つ減るだけでこんなにごみを捨てるようになるのか、と感動しました。全部これになればペットボトル完全攻略できます。メーカーのみなさん、よろしくお願いします。

生活リズムを整える

朝は起きられず夜は眠れず、やるべきことには手を付けられないのに気になることは何時間も続けてしまうので、生活リズムは常に崩壊しています。リズムの狂った生活はかなりの気力を消耗するので、元気に暮らすために生活リズムを整えることにしました。なお、「ご飯を毎日食べる(時間はなるべく揃える)」「やる気を出さなくても歯磨きをする」くらいのことを目標にしています。

完全攻略には至っていませんが、うまくいっている取り組みをいくつか書きます。

  • 1日のスケジュールをあらかじめ決めておく
  • 朝ごはんは保存ができるものを少量摂取する

1日のスケジュールをあらかじめ決めておく

人間は何かを決めるためにエネルギーを使う一方で、習慣づいた活動は簡単に行うことができます。僕には生活上の習慣がほとんどないため、毎日その日に何をしなければいけないか決める必要がありました。

そこで、1日のスケジュールをあらかじめ決めておき、それを守ることで生活の習慣づくりをしました。

1日のスケジュールは、次の点に注意して作ります。

  • 1日のスケジュールは考えるだけでなく、紙に書き出す
  • 細かすぎるスケジュールを作らない
  • 無理だと思ったらすぐにスケジュールを変更する

スケジュールは必ず紙(もしくは電子媒体)に書き出します。間違っても頭の中で完成させようとしてはいけません。次の日には必ず忘れ、思い出すことに必死で生活はできません。

また、過剰に手順を守ろうとして固まってしまわないよう、細かすぎるスケジュールを作らないように気をつけます。起きる->着替える->カーテンを開ける…といった細かい手順ではなく、11時までに起き上がって朝食と食器の片付けを済ませる…くらいの粒度でスケジュールを作ります。

これが一番大事なことですが、無理のないスケジュールを作るようにします。実際にやってみて厳しいと思ったら、一度決めたものでも変更できるようにします。目標は生活をやることで、決めたことを守ることではないので。これにより、決めたことは守らなければという意識が減って「歯磨きをするのが1時間遅れたけど歯磨き自体はやったから予定は遂行できたな」と考えられるようになりました。予定遂行の判定がゆるくなったおかげで、実際にやれることも増えたように思います。

決められたスケジュール通りに行動するなんて無理だと思っていましたが、案外うまくやれています。夕方から就寝まではそれなりにスケジュール通りに過ごせていますし、生活を面倒に思うことも減りました。また、夜眠るまでやるべきことが決まっているので、そのうち一つでもできれば「今日やることのうち〇〇ができた、〇〇ができなかったから明日はやろう」と考えられるようになりました。以前はその日の生活のゴールが分かっておらず、できなかったことだけを考えて焦燥感を募らせていました。その日やることが一覧できるようになり、無限のできなかったことよりもできたことに意識を向けられるようになりました。

朝ごはんは保存ができるものを少量摂取する

在宅勤務になってから食事が疎かになり、生活リズムの崩壊に拍車をかけていました。食事を先延ばしにしてお腹が空いたまま過ごして「何か食べなければ、食べるものを決めなければ」という意識で頭がいっぱいになり、夕方過ぎまで何もできない、といった具合です。そういう日は結局何も食べずに水だけ飲んで過ごしていました。

そこで、起床直後でも用意ができて消化しやすく保存がきく飲食物をいくつか常備するようにしました。いずれも常温保存が可能で、食べきりサイズです。

僕は毎日同じものを食べ続けられないタイプの人間なので、食べられそうなものを一つ選んで朝食にしています。毎日朝ごはんを食べると「朝イチのやるべきことをやったのでえらい」といった気持ちになれるのでおすすめです。特に、食欲がなくて固形物がどうしても食べられない日でも朝食ノルマが達成できる豆乳がおすすめです。野菜ジュースでも良さそうです。

おわりに

書いてて「なんでこんな当たり前のことをやるための tips で3000文字も書けるんだろう」という気持ちになりましたが(この記事は3000文字くらいです)、実際は当たり前にやれることではないので、毎日3000文字分くらい頑張って生きています。助けて。

会社を辞めたい気がしてきた

はじめに

こういうのは転職活動に精を出して、内定の一つや二つを獲得してから書くものだと思うんだけど、感情の整理のために書いてみたら止まらなくなってしまったので、供養しておこうと思います。

なんで辞めたいの

ふつうの人とふつうに働くことが無理になった。日に日に不満は溜まるばかりで、机に向かってもアラートをだらだら眺めるだけのことが増えた。いや、白状してしまうと、机に向かっても何もできない日が増えた。

上司には「期待していた仕事の量がこなせていない」と言われた。僕もそう思う。お前らのせいじゃろがい、とも思ったけど、環境を変えようとしなかった僕が悪い。

精神科の担当医には「環境に合わせるのは処世術として有効だと思います。自分や環境を変えようと頑張るのもいいけど、あなたに合った環境を探す方がおすすめです」と言われた。診察室で泣き出すところだった。僕は権威に従順なので、医者の言うことは素直に聞くことにした。

なにが不満なの

現状への不満は大きく分けて3つある。

一つ目は、尊敬できるエンジニアがいないこと。業務上関わりのある周囲のエンジニアの中で、技術力をはじめとるする様々な能力やイデオロギーについて、参考にしたいとか、自分もこうなりたいとか、そういう感情を向けられる人を見つけることができなかった。周囲のエンジニアは決して仕事ができない人たちではないし、うちの会社で仕事を滞りなく進行させるという点では、僕の5000兆倍優れていると思う。ただ、僕の感性に刺さらなかったのか、僕の力量不足で彼らの実力を理解できなかったのか、何にせよ、周りの誰も尊敬することができなかった。

二つ目は、頻繁にコミュニケーションが要求されること。コミュニケーション以外の良い方法がいくらでもあるのに、何でもコミュニケーションで解決しようとすることに辟易した。進捗が悪ければコミュニケーション、情報共有のためにコミュニケーション、分からないことがあるのでコミュニケーション。僕はコミュニケーションが壊滅的に苦手なので、とてつもなく苦痛だった。上司や同僚からコミュニケーションに問題があると指摘されたことは数しれない。なので、コミュニケーションの代わりに仕組みで解決しようとか、なるべく文書でやりとりをしようとしたけど、それは受け入れてもらえなかった。

三つ目は、責任の所在が曖昧なこと。責任の範囲を線引きするのが難しいということは理解している。それでも、追求されている責任が自分の裁量や作業結果と比べて適切でないと感じたり、チーム全体で協力して責任を持ちましょうという姿勢を提示されたことで、そもそもこの人たちは(悪意がないにしても)責任の所在を曖昧にしたいのではないか?という疑問を抱いた。僕は要領がとんでもなく悪く、人の仕事に気を配ったり人から気を配られたりすることができない。なので、自分以外の仕事にも気を配らなければならないような、責任を共有してものごとを進めるやり方は苦痛だった。自分が決めたことや自分がやった仕事の結果だけにきっちり責任を取りたいという考え方は、受け入れてもらえそうになかった。

なんで辞めたいの(2回目)

僕はできないことが壊滅的にできない。会社員になってからできないことを突きつけられることが多すぎて、もはや自分は何もできないのではないか、という疑念すらある。できないことをやるのは苦痛だし、できないことをやっているので、評価が上がることもない。

上司たちには、苦手なのは分かったから少しでも克服するように頑張ってほしいと言われてきた。しかし、僕の場合、上で挙げたようなコミュニケーションや要領の問題は、頑張ったからといって克服できるものではない*1発達障害について説明することも考えたけれど、上司たちは苦手なことを克服するという方法を提案してきたわけなので、我慢して合わせろと言われるのがオチだと諦めている。説明することを諦める決定をしたのは僕なので、僕が苦痛であることについて、上司や同僚たちに責任はない。

そんなわけで、担当医にも推奨されたので、会社を辞める方向性でやっていくことにした。

辞めてどうしたいの

まだ辞めてないしまだ決めてないです。職場の紹介は募集中ですが、元気がないので逐次処理にて承っています。これまで書いたとおり、コミュニケーションが壊滅的で要領がとんでもなく悪いですが、それでもよければ、ご連絡ください。

業務経歴は以下になります*2

研修後に配属されたのはビックデータを利用したシステムの開発チームでした。チームでは機械学習モデルの開発とかもやっていましたが、僕はデータの調査のために HiveQL を書いたり、システムを動かすための環境構築をやっていました。

その後チームの異動があり、異動先のチームの事情で半年ほど React/Redux での Web フロントエンド開発をしている現場で出稼ぎをしていました。ちなみにそれまで、React/Redux が何なのかすら分かっていませんでした。

出稼ぎが終わってからは、チームが担当するサービスの Web アプリケーション部分の運用業務を主に行っていました。メンバーの退社や異動などのために、いつの間にかアプリケーションに何かあったら何でもやる担当になっていました。担当する Web アプリケーションは node.js とか React/Redux で書かれていました。エラーの原因調査とか、リリース作業とか、定型業務とか、社内基盤の変更に伴う開発を行っていました。

半年でチームの異動があり、担当するサービスは変わらずに業務範囲が広がりました。

現在もこのチームで働いています。業務内容は Web アプリケーション部分の運用を引き続き行いつつ、裏のシステム(こういう言い方しかできない)の開発も行っています。裏のシステムは全然分からないし詳しい人がいるので、運用は丸投げしています。最近は要件定義をしたり、運用改善の提案や実行をしています。

おわりに

仕事を探していると言いながらできないことばかり並べるのは印象が最悪な気がしてきたけど、まあいいか。

そんな感じです。

ソフトウェアエンジニアになるまでの話

はじめに

note.com

こちらのブログを読んで、人生を振り返りたくなったので書きます。

人の体験記には一定の価値があることが知られています。僕も人生で不安になったときは Web で同様の体験をした人々のブログを読み漁ってきました。

僕は女性エンジニアという文脈では比較的悩み無く、敷かれたレールにのんびり揺られてソフトウェアエンジニアになりました。これまでジェンダーを理由につらい思いや障害を感じたことはほとんどありません。平坦な道のりでソフトウェアエンジニアになった女性のサンプルですが、平坦な道のりを歩む誰かのために、記録を残そうと思います。

書いた人

都内の IT 企業でソフトウェアエンジニアをしています。大学院の修士課程(情報工学)を修了した後、新卒入社した会社でずっと働いており、今年で3年目になります。

仕事はだいたい Web アプリケーションの開発・運用周りを全部いい感じにやっています。働き始めてからできるようになったことは、HiveQL でのビックデータ集計、node.js・React/Redux でのアプリケーション開発、TypeScript でのプログラミング、雑用、などです。働く前からできることは、少し古い HTML と CSS での Web フロントエンド開発、C#C++ でのプログラミング(ほぼ忘れた) 、CentOS での Web サーバの構築と管理、PHPPythonRuby でのアプリケーション開発、Docker の操作、DNS サーバの構築、日本語の読み書き、などです。

触ればだいたい興味が湧いては消えてしまうのでこれといって得意なことがありませんが、とりあえずクビにならずにちょっとずつ昇給しています。最近は、きれいなコードと非同期コミュニケーションに執着しています。夜には眠れず、朝には起きれませんが、生きています。お仕事の紹介はいつでも歓迎しています。

それでは、よろしくお願いします。

未就学児時代

福島県の、最寄り駅まで車で30分かかる田舎で生まれ育ちました。

小さい頃は特撮が好きでした。ウルトラマンのTシャツを着てめちゃくちゃ笑顔で写った写真が実家の居間に飾ってありました。ティガとダイナを観ていたことを覚えています。また、モスラを異常に気に入っており、映画のパンフレットを枕元に置いて眠っていたことも覚えています。

それとは別におジャ魔女どれみが好きで、絵をかくのが好きで、花が好きでした。将来の夢はお花屋さんでした。その後、早起きが無理という理由で、花屋の夢は諦めました。

義務教育時代

父親がある日、パソコンを買ってきました。Windows 98 が入っていたと思います。

ここで、父親の話をしておきます。父親は車の整備士で、つまるところエンジニアでした。車がとにかく好きで、家にはよく分からんパーツが届いたり、工具がたくさんありました(ほとんどは職場に置いているようでしたが)。新しいものが好きで、電動キックボードに乗って小学校に迎えに来たこともありました。爪の間はエンジンオイルがこべりついて真っ黒で、仕事の愚痴を一切言わない人でした。好きなもので仕事をして、稼ぎもそこそこに良く、楽しそうに生きる父親は、自分の人生にそこそこ大きい影響を与えたように思います。

ところでそのパソコンは子供も使うことができ、小学生の頃はペイトソフトで絵をかきまくっていました。たまにインターネットも見ていました。よく変なサイトを踏んでウイルスに感染させ、修理に出していました。父親にはそのことをあまり咎められず、カスペルスキーか何かのセキュリティソフトが導入されました。

相変わらず絵とパソコンが好きだった中学生の頃に、インターネットではブログとかホームページとかが流行りました。

とにかく流行っていたので、自分もブログを作って、日記や好きなバンドのことを書いていました。ゲームが好きだったので、特に好きだった塊魂の攻略掲示板に入り浸り、攻略情報の収集のために他のユーザと交流していました。絵が好きだったので、絵を載せるホームページを作りました。Yahoo! ジオシティーズをしばらく使ってから、FC2 ホームページに移行しました。HTML や CSSJavascriptCGI はこの頃に覚えました。絵よりも HTML や CSS を書く方が楽しくなってしまい、友人のホームページのコーディングをしたり、ホームページ用のテンプレートを作って載せたりしていました。

そんな折、プログラミングというものを人に教わる機会が訪れました。

地元には高等専門学校高専)というもがあります*1高専では公開講座という、地域の小中学生むけに専門科目を教えるイベントを開催しています。公開講座ではロボット制作や環境調査などをやっていますが、その一つにプログラミングがありました。Javascript を書くことがプログラミングと呼ばれる行為であることは知っていたので、中学校の掲示板に貼ってあったプログラミングの公開講座に興味を持ち、受講しました。

その後、なんやかんやあって高専プロコン*2の競技部門に中学生特別枠みたなの作ってもらって出場したり、自分用のパソコンを買ってもらって家でプログラミングをするようになりました。

また、高専というものに興味をもち、情報工学科ってやつに入りたいと思いましたが、地元の高専にはそういう学科がありませんでした。隣の県の高専には情報工学科があることが分かったので受験しようとしましたが、通っていた中学校からの入学実績が無いことを理由に、担任から受験を止められてしまいました。諦めなければよかったのですが、受験の不安が勝ってしまい、仕方なく地元の高専の電気工学科に進学しました。一応、カリキュラム上はプログラミングを勉強できることになっていました。

高専時代

こうして若干の不満を持ちつつ高専の電気工学科に進学しました。そしてこれ以降、ジェンダー比の狂った世界で暮らしていくことになります。

ここで、入学した高専の当時のジェンダー比について触れておきます。入学時は40人くらいのクラスに自分含めて女性は3人で、学科の先生たちに女性はいませんでした。色々あって女性が得意ではなかったし、いわゆる男の子みたいな趣味が多かったので、男性ばかりの生活に抵抗や苦痛を感じたことはありませんでした。

学生や先生はみな良識的で、むしろ女性であることで丁寧に扱われていたように思います。セクハラに遭ったこともありません。女性だけを丁寧に扱うことは問題を孕んでいますが、ここでは詳しく話しません。とにかく、女性であることで不利益を被ったことは一度もありませんでした。

勉強の話に戻ります。5年生までのカリキュラムでプログラミングの授業はごくわずかでした。悪く言えば期待外れでしたが、何かを学ぶこと自体は好きなので、電気工学のことも好きになれました。特に半導体電磁気学が好きでした。実験で一番楽しかったのは、電線を通したマネキンに雷を落としたことです。

プログラミングは主に部活動で続けていて、高専プロコンに出場したり、ものを作ったりしていました。高専プロコンについては色々と思うところがあるのでお気持ち表明は省略しますが、うちはいわゆる弱小校だったと思います。僕の在学中、競技部門で勝ち進むことはなかったし、課題・自由部門では賞を取れないことはもちろん、予選を通過できないこともありました。ただ、ものを作るのは楽しくて、部活のみんなでゲームを作って文化祭で売ったことはよく覚えています。高専プロコンの参加賞か何かでもらったさくらの VPS で、はじめて Windows 以外の OS を触って、コンソール画面を叩いて、Web サーバを構築したりしました。

プログラミングは好きだし楽しいものでしたが、進路につていは悩みました。きっちり組まれたカリキュラムでプログラミングやソフトウェアの勉強をしていない分、同世代の高専生との知識や技術の差から苦しい思いをすることが多くありました。プログラミングという活動で名前のついた成果を得られなかったこともあり、プログラミングをやっていく自信がなかったため、進路を電気工学方面にするか、情報工学方面にするか、悩みました。

情報工学方面に進もう、と決めたのは4年生のときに参加したインターンシップがきっかけでした。Twitter での交流がきっかけで jig.jp*3 という社長から社員まで高専卒ばかりの IT 企業のインターンシップに参加し、とても良い体験をしました。そこで、ソフトウェアエンジニアになろう、そのために大学で勉強しよう、と決意しました。

試験勉強という活動がとても苦手だったので、編入試験には苦労しました*4。なんやかんやあって、福岡の大学の情報工学部に進学しました。

大学時代の授業と研究

そういうわけで、計算機科学や情報工学の知識のなさへのコンプレックスを解消するため、大学の情報工学部に進学しました。

これまでもずっとそうでしたが、学校の勉強という形式を好きにはなれませんでした。これは大学でも同じで、成績のために努力することができず、好きなことを好きなように勉強するために学校制度を利用できればいい、という考え方でした。また、人に教わったり要領よくものごとを進めるのが下手くそでした。したがって、GPA もあまり良くありませんでした。奨学金の免除審査にも落ちました。

成果のために努力できず、好きなことを好きなように、つまみ食いするような姿勢は研究にも表れていて、特別大きな成果を挙げることもありませんでした。

研究の成果という面では後悔だらけですが、研究そのものは好きだし、楽しいという気持ちが十分にありました。今でも、修論のテーマを使って自由研究をしています。

大学生活における後悔は自分の性質への理解が足りないことにも起因するので、自分のことをあまり責めすぎずに、無事に修了できたことを喜ぼうと思っています。修士号情報工学)、便利なので。

大学時代に出会った人間たち

大学には編入生のコミュニティが形成されており、入学前に編入生向けの説明会を自主的に開催していました。これはとても良い活動で、このコミュニティがきっかけで、福岡に引っ越した次の日くらいには地域のエンジニアのコミュニティにつながりができました。よく知らない土地で、引っ越した次の日に電車で1時間の場所まで勉強会に参加しに行った自分の行動力は褒めて良いと思います。

エンジニアのコミュニティでのつながりは大学生活にも影響して、そこで知り合った大学の先生と先輩の研究室に入ったり、バイト先やインターンシップ先を決めたりしました。

とくに研究室の先輩たちとは夜中の2時まで技術や人生の話で盛り上がったりしていて、そういう話がたくさんできる友達ができて嬉しかったのを覚えています。また、Web サーバの運用で分からないことを教えてもらうとか、CTF に連れて行かれるとか、プログラミングができるバイト先を紹介してもらうとか、とにかく色々な経験ができました。

高専時代には、自分と同じかそれ以上の熱意でプログラミングをやっている生身の友達が近くにいませんでした。インターネット上には存在しましたが、インターネット越しで受ける影響には限界がありました。大学に入ってそういう生身の人間と関われたことで、ソフトウェアエンジニアとして大きく成長できたと思います。

就活

修士を修了したら就職するというのが進路の第一候補だったので、就活をしました。

僕の就活については以前ブログを書きましたが*5、要約するとインターンシップに行った会社の面接を受けて内定がもらえたのでそのまま受諾しました。人間が一番集まる場所で働くのが良かろうと思い、東京で勤務することを想定しました。

いくつかの会社でソフトウェアエンジニアとしてアルバイトをして金銭を得ていたことや、同世代の人間は(技術で)意外と倒せそうだという謎の自信から、かなり楽観的に就活をしていました。結果として受けた3社のうち1社からしか内定はもらえなかったのでそう甘くもなかったとは思いますが、その辺の感情は若さだと思います。

また、絶対書類で落ちると思っていた、採用面接がめちゃくちゃに難関だという会社の最終面接までは残ったことは、少しだけ人生の励みになりました。

業務の様子

感情を挟むと健康を損なった話をしなければならないので、割愛します*6

ここでは、感情を無にしてやったことを淡々と書き出します。

研修後に配属されたのはビックデータを利用したシステムの開発チームでした。チームでは機械学習モデルの開発とかもやっていましたが、僕はデータの調査のために HiveQL を書いたり、システムを動かすための環境構築をやっていました。弊社での仕事の割り当て方は上司によって異なりますが、自分の観測範囲だと、モチベーションベースで割り当てている上司が多いように思います。

学生時代は機械学習という手法で実現できるシステムに興味を持っていましたが、統計学、つまり数学をあまり好きになれなかったこともあり、入社する頃には興味を失いつつありました。それもあって、このチームの仕事で何がやりたいかと聞かれてもイマイチ答えられず、特にこれといって自信のある分野も無かったので、その手の質問にはうまく回答できませんでした。

そういう姿勢のためか、他人が興味のない余った仕事を黙々と取っていく、というスタイルが現在まで続いています。

その後チームの異動があり、異動先のチームの事情で半年ほど React/Redux での Web フロントエンド開発をしている現場で出稼ぎをしていました。ちなみにそれまで、React/Redux が何なのかすら分かっていませんでした。それでも仕事は降ってくるので、勉強しながら開発をしていました。開発しなければならない機能が次々と上から降ってくるので、仕事の割り当て方やコミュニケーションはとても機械的でした。自分にはそれがやりやすく、周りからはよく働いてくれるて助かる、と評価されました。

出稼ぎが終わってからは、チームが担当するサービスの Web アプリケーション部分の運用業務を主に行っていました。メンバーの退社や異動などのために、いつの間にかアプリケーションに何かあったら何でもやる担当になっていました。担当する Web アプリケーションは node.js とか React/Redux で書かれていました。エラーの原因調査とか、リリース作業とか、定型業務とか、社内基盤の変更に伴う開発を行っていました。上司は放任主義で、成果さえあればよく、仕事はとてもやりやすかったです。

半年でチームの異動があり、担当するサービスは変わらずに業務範囲が広がりました。現在もこのチームで働いています。

業務内容は Web アプリケーション部分の運用を引き続き行いつつ、裏のシステム(こういう言い方しかできない)の開発も行っています。裏のシステムは全然分からないし詳しい人がいるので、運用は丸投げしています。最近は要件定義をしたり、運用改善の提案や実行をしています。

会社の雰囲気と福利厚生

業務の様子から負の感情がにじみ出てしまいましたが、会社自体はウルトラホワイト企業です。

入社してから残業しなければならない状況になったことは一度もありません。現在は COVID-19 の流行に影響を受けて、フルリモート勤務 OK でコアタイムなしのフルフレックス制を採用しています。この勤務体制は感染症の流行に関わらず、今後も続くようです。

会社の福利厚生を挙げればキリがないですが、女性エンジニアという文脈があるので、生理休暇制度について言及したいと思います。

生理休暇制度は月に1日有給休暇みたいなノリで雑に休める制度です。僕は生理のたびに腹が痛むし吐き気はするし気分は最悪になるタイプの人間なので、ほぼ毎月この制度を利用しています。生理休暇に限らず休暇制度は上司に報告して利用します。これまでの上司は全員男性ですが、休むなと言われたことも、生理について言及されたこともありません。また、明らかに体調不良で休む回数が多い自分に対して、会社の人間から直接何かを言われたことは一度もありません。

まとめ

これまで書いたとおり、順当に学校に通い、順当に就活をし、順当に就職し、色々ありつつもそれなりの賃金を得ています。僕はこれまでの人生でジェンダーを理由に不利益を被ったことは一度もなく、ジェンダー比の狂った世界にも慣れてしまったので、世の女性エンジニアもしくはエンジニアになりたい女性たちが感じているハードルには実感が薄いようにも思います。すみません、勉強不足です、すみません……。

そういうわけで女性エンジニアという文脈で役立つ情報はあまり無いような気がしますが、人生の振り返りを終わりたいと思います。

一人でもいいので、この振り返りが誰かの後押しになれば幸いです。

自宅にドラム式洗濯乾燥機を導入した

はじめに

前からずっと欲しがっていた洗濯乾燥機を買った。

ななめドラム洗濯乾燥機 NA-VX800BL/R | 商品一覧 | 洗濯機・衣類乾燥機 | Panasonic

家事がとにかく嫌いなので、よく洗濯物を溜め込んでいた。特に靴下とタオルを干すのが本当に面倒くさかった。 最近のドラム式洗濯機乾燥機はよく乾くし、洗濯物が傷んだり汚れ落ちが悪いといったこともないと聞いたので、導入することにした。

なにせ高いので買う決心がなかなかつかずに、ボーナスのタイミングを3回くらい見送った。直近のボーナスの調子が良くてお金に余裕ができたので、ようやく決心をつけた。

選び方

特に乾燥機能を頻繁に使うことを想定しているので、それを主眼に置いて機種選びをした。

乾燥機能にはいくつかの方式があるが、ヒートポンプ乾燥は比較的洗濯物が傷みづらいとされている。縦型洗濯乾燥機でヒートポンプ乾燥を採用しているものはないため、ドラム式洗濯乾燥機を探すことになった。

また、自宅でドラム式洗濯乾燥機を使っている人に使い心地やおすすめ機能を聞いて回ったところ液体洗剤・柔軟剤の自動投入機能は最高との情報を得られたので、これが搭載された機種を探した。

パナソニックのドラム式洗濯乾燥機の中に条件を満たす機種があり、条件外の機能も十分そうなので、それを買うことにした。

洗濯機の選び方全体については、このページを参考にした:

特に洗い方や乾かし方については、このページたちを参考にした:

購入時期

本当は9月ごろに購入する予定だった。ドラム式洗濯乾燥機の新モデルは例年10月ごろに発売されるため、9月ごろに現行モデルが値下げされることが多いらしいので。 しかし、今年は COVID-19 の流行によって様々な影響があったためか、9月に入る頃に現行モデルはすっかり売り切れてしまった。

新型を購入できるから、と言い訳し、泣きながらヨドバシカメラで新モデルの販売価格が30万円を下回るのを待って購入した。

よかった点

洗濯機に乾燥機能が追加されたことで、靴下のような細かい洗濯物を干す手間がなくなって最高になった。浴室に干して除湿機で乾かすよりもタオルがふかふかになるところもうれしい。

干すのが面倒で頻繁に洗えなかったシーツや掛け布団カバーのような大きな布を気軽に洗濯乾燥できるようになったことも良かった。洗濯表示ではタンブル乾燥禁止になっているが、実用上、縮みや傷みは全く気にならなかった。

液体洗剤・柔軟剤の自動投入機能は最高で、ボタンをぽちぽちするだけで洗濯乾燥が実行される体験は大変に良いものだった。こちらの機能をおすすめしてくれた皆さんありがとう…。

わるかった点

いくつかの洗濯コースでは液体洗剤や柔軟剤が自動投入されない。たとえばおうちクリーニングコース(手洗いコース相当)では、おしゃれ着用洗剤を手動投入することを想定して液体洗剤が自動投入されない。自宅ではすべての洗濯物に同じ液体洗剤を使っているので、僕の使い方としては、おうちクリーニングコースでも液体洗剤は自動投入してほしい。手持ちの衣服のほとんどが手洗いを要求するためおうちクリーニングコースは頻繁に利用しており、結構な頻度で便利機能の恩恵を受けられないのは不便に感じた。

また、これは家電に罪のないことだが、手持ちの衣服のほとんどの洗濯表示でタンブル乾燥が禁止されている。乾燥機能を使うことができないため、衣服を干す手間は撲滅できなかった。

おわりに

ドラム式洗濯乾燥機が搬入されてからしばらくは、勝手に乾燥される様があまりにも楽しくて家中の洗って乾かせる布を集めてひたすら洗濯乾燥機を回した。楽しかったです。

ストラテラを服用して4ヶ月くらいが経過した(安定版)

はじめに

前回: haneuma0628.hatenablog.jp

ADHD の治療としてストラテラの服用を始めていましたが、4ヶ月ほど服用して安定した効果が得られてきたので、感想を書いておきます。

服用

現在はストラテラの後発品である日医工のアトモキセチンカプセル40mg*1を毎日朝食後に服用しています。

感想

前回同様、以下の ADHD 由来の症状がどうなったか、みたいな観点で感想を書いていきます:

  • 日中の継続的な眠気
  • 無気力感
  • 集中力の欠如
  • 物事への取り掛かりの困難さ

服用から1ヶ月半頃までは、日中にひどい眠気を感じることはないもののぼんやり眠いので昼寝したい、という程度の症状がありました。最近は以前のような眠気の解消のための昼寝がほとんど無くなり、それほど眠気を感じない日も増えてきました。

起きてから寝るまで意識を保って生活できる日が増えたことは、無気力感の解消にも良い影響を与えています。眠くないので家事や朝に計画した通りの活動ができたりして成功体験を積み重ねることができ、何かをやりたいと考えて活動する時間が増えたように思います。実際、趣味の活動、特に読書と勉強の時間が増えました。

集中力や物事への取り掛かりは明確に改善されたと感じることが少ないですが、長めの時間をとっての読書や勉強、しばらくやっていなかった趣味、こたつ布団をクリーニングに出すことなどができるようになりました。また、何かに手を付けてすぐに飽きてしまっても、他のことをやればいいか、と考えて実際に他のことをやれるようになりました。これは薬の直接の効果というよりは、眠気や無気力感が改善されたことで、症状とうまく付き合う心構えができたのだと思います。

観察日記

余談ですが、通院のために症状の様子を記録しています。以前は文章で症状の様子を記録していましたが、図のような5段階評価を記録するようにしました。

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観察日記

主観的ではあるものの症状を量的に表したことと、表にして一覧性が向上したことで、症状の変化が分かりやすくなりました。

ストラテラの服用を始めてから日が経つにつれて、勤務日の気力のなさが目立つようになってきました。休暇日に十分楽しく過ごせるようになったことは喜ばしいですが、シンプルに仕事が楽しくないということを思い出してつらくなりました。やりがいってやつはどこにあるんですかね…。

おわりに

僕は担当医にストラテラ40mgで十分効果があると判断され、実際にいろいろな症状が改善して元気に暮らすことができています。これ以上薬増やすと副作用が強くなりすぎるとのことです。

相対的に ASD の症状である社会性のなさが目立ってつらくなったりしていますが、それはまた、追々やっていこうとおもいます。

ストラテラの服用を始めてから1ヶ月半が経過した

はじめに

ADHD の治療として、ストラテラの服用を始めていました。 服用から1ヶ月半くらいが経過したので、感想を書いておきます。

ストラテラコンサータについて

ADHD の症状を軽減させる薬はいくつかありますが、成人にはストラテラコンサータを処方するようです。 ストラテラコンサータも、神経伝達物質であるノルアドレナリンドパミンの濃度を上昇させることで集中力や注意力の欠如といった諸症状の改善を期待する薬です。

ストラテラはアトモキセチンを成分とした薬で、ノルアドレナリンの再取り込みを阻止します*1

コンサータメチルフェニデートを成分とした薬で、ドパミンノルアドレナリンの再取り込みを阻止します*2。また、徐放性製剤という特殊な作りをしています*3コンサータは副作用として依存が認められることもあり、現在は処方のために医師の元で患者情報の登録が必要になっています*4

ストラテラコンサータ神経伝達物質の濃度を上昇させる効果がある薬ですが、効き始めるまでの期間や併用できない薬、効果や副作用の強さ、処方されるための手間などの事情から、使い分けられているようです。 一般的には、処方しやすいストラテラから試していくことが多いそうです(担当医談)。

ストラテラは少量から始めて、効果や副作用を観察しながら増やしていくような薬になります*5

通常、1日アトモキセチンとして40mgの服用から開始し、その後1日80mgまで増量された後、維持量として1日80〜120mgを服用します。

とありますが、僕は1日10mgから始めました。非常に少ないと感じられますが、ごく少量でも効く人がいることが分かってきたのと、副作用の兼ね合いから、少量で服用をはじめることになりました。

感想

ここ最近困っている以下の ADHD 由来の症状がどうなったか、みたいな観点で感想を書いていきます:

  • 日中の継続的な眠気
  • 無気力感
  • 集中力の欠如
  • 物事への取り掛かりの困難さ

ストラテラ 10mg

3週間ほど服用していましたが、特に何もなかったです。

担当医曰く、副作用が出ないことを確認するためなので、狙い通りとのこと。副作用もなければ効果もなかったので、特に感想はないです。

ストラテラ 25mg

3週間ほど服用しているところですが、日中の継続的な眠気と無気力感、物事への取り掛かりの困難さが軽減されています。 特にストラテラの量を25mgに増やした1日目は、症状のうち日中の継続的な眠気と無気力感が大きく改善されたように感じました。

以前は起きてから夕方までずっと眠気があり、1日のうちに短い睡眠を何度もとらないとまともに動けない、という日が多かったです。無気力感も手伝って、起きても何もしたくないしとにかく眠い、という状態でした。

日中の継続的な眠気については、起きてから夕方までぼんやり眠気があるものの動けないほどではない、といった程度に症状が軽減されています。休日は眠気を感じずに動ける日もあります。 無気力感や物事への取り掛かりの困難さについては、寝転がってもできる読書や英語の勉強、据え置き機のゲームでプレイが日課になっているようなタイトルを遊ぶこと、辺りは苦なくできるようになっています。食事も2食は忘れずに食べるようになっています。

ただ、薬に慣れてきたのか症状が軽減された状態に慣れてきたのか、日中の継続的な眠気はまだまだ残っています。気力を持つことや物事への取り掛かることも、何に対しても苦なくできるわけではないので、もう少し症状が軽減されると暮らしやすいのにな〜とは思っています。

おわりに

僕は少量のストラテラでもまあまあ効果があり、勤務中にあまりにも眠くてその辺で昼寝して上司との 1on1 すっぽかしたり、何をする気にもならず1日中虚無をやって過ごす、ということが無くなりました。

まだまだ社会の過ごしづらさはありますが、ADHD の症状に若干の改善が見えたことで「人生やってやってもいいかな〜」くらいの気持ちが出てきました。また、薬によって自分の思考や行動が変わるのが面白くて、植物の観察日記をつけているような楽しさもあります。良かったですね。